「尊い」とはなにか―『どうして私が美術科に!?』の事例より
この記事は id:x10Ccandy さんの第一回尊いサミットへのアンサー記事です。
尊いサミットについては以下の記事をご覧ください。
さて、ナウでヤングなきららオタクならご存知の通り、『どうして私が美術科に!?(以下、どうびじゅ)』 の2巻が4月26日に発売されます。
各方面から「尊い」と称されることの多い同作品ですが(2巻の帯でくろば・U先生も「こんな尊い4コマ見たことない」と称されています)、この「尊い」というのがどういうことか、ファン作者含めて実はあまり言語化されていないようです。
どうびじゅ 一巻発売前から「尊い」という感想をよくもらっていて一巻あらすじにも「尊い」と書かれ装丁打ち合わせ時にもデザイナーさんに「なんというか尊い…ですよね…」と言われ「出た!尊い!」と思いあははと笑ったら「いや真面目に」と真顔で言われ「あっはい」と真顔になった思い出があります
— 相崎うたう🎨どうびじゅ②4/26 (@py_py_ai) 2017年11月4日
本記事では、先述する2つの記事に引き続き、「どうびじゅ」に通底する「尊い」の正体について無粋ながら言語化を試みます。
なお筆者は、「どうびじゅ」という作品が特有の尊さを持っているという前提に同意します。
「尊い」と感じるのはどういう時か
「尊い」とは何かを直接考える前に、まず我々はどういう時に「尊い」と言うのかを整理しましょう。
「萌える」でも「可愛い」でもなく「尊い」という単語が選ばれる時、そこに含まれるニュアンスはなんでしょうか。
英語では一見 precious と訳せそうに見えるところですが、どちらかというと holy、あるいは sacred のニュアンスとして読むべきでしょう。
すなわち、後光のさすような、邪念の祓われるような聖性が含まれるということです。浄化に伴う感情というわけですね。
だとすると、この「邪念」の正体がなんなのかをつかめれば、「尊い」の正体も同時につかめそうだということがわかります。いったいこの祓われるべきものとは何なのでしょうか。
人間の複雑さについて
そもそも物語を楽しむことは、人間の複雑さを楽しむことです。
そして、ある物語(特にシリアスなもの)を面白いと感じるタイミングには大きく分けて二種類あるでしょう。
- 単純に見えたものが実は複雑だと分かった時
- 複雑に見えたものが実は単純だと分かった時
例をあげましょう。「明るいあのキャラに実は暗い過去が…」と判明するのは前者のシーンです。
後者は説明が難しいですが、謎が解けるシーンや、キャラクターが和解するシーンを思い浮かべてください。暗い事情のあるキャラが主人公の言葉で心を開くようなシーンでは、そのセリフが相手の心情を踏まえた伏線回収のような役割を持つはずです。
どの物語にも両方の側面があり、これら二つを行ったり来たりしながら進みます。どちらかしか存在しない作品というのも論理的には可能でしょうが、現実にはほとんどないでしょう。
そしてどの作品にも、これらのさじ加減に濃淡が存在します。つまり、単純→複雑への遷移が見せ場になりやすい作品もあれば、逆に複雑→単純への遷移こそが強みという作品もあります。これはテーマの内容や、作者がどちらを描くのが得意かなどに依存します。
結論から言うと、「どうびじゅ」はどちらかというと後者(すなわち 複雑さ→ 単純さ への遷移)が卓越しており、それがいわゆる「尊さ」となって現れている、という話をします(これは、どうびじゅが何かものすごい壮大な伏線を貼ってる、という主張とは少し違うので注意してください)。
邪念 ≒ 人間の複雑さ
ここで他作品ですが、『ステラのまほう』を引き合いに出します。『ステラのまほう』はどうびじゅ2巻の帯コメントを書かれたくろば・U先生の作品です。
同じきらら4コマですが、『ステラのまほう』は典型的に前者(=「実は複雑だった」)寄りの作品です。そもそもくろば・U先生の強みがそこにあると言っても良いでしょう。藤川さんの話しかり。
本来、人間の考えや感覚はシンプルであるに越したことはありません。
楽しければ笑い、悲しければ泣き、悪い人を見たら素直に悪いと感じること。つらいことがあっても基本的には前に進んだ方がいいということ。仮に何らかの事情でそうするのが難しかったとしても、それは克服可能である(あるいはそう信じる必要がある)。これが人生における「まともな」考え方のはずです。
で、ステラのまほうはこの種の考えと確信犯的に戦う作品です。
アニメの主題歌を聞けば一発で分かるように「前を向きたいのに前がわからない」人を対象にしています。そういう人々に、素朴に前向きなメッセージを発信しても響かないということはくろば先生が誰よりも理解しているはずでしょう。一度こじらせた人間を救えるのは、こじらせたところのある物語だけなのです。
さてしかし、ここで一つの疑問が生じます。では一度こじらせたしまった人間は、もう二度とこじらせてないメッセージによって救われることはできないのでしょうか。
自分の性格を「克服して」、素直さを「取り戻さ」なければ、もう一生救いはないと考えるべきなのでしょうか。
素直に前向きな作品によって元気を取り戻すということは、ある種の性格を持った人間の「特権」と言うべきなのでしょうか。
……長くなってしまいました。要するにこれが先程から述べてきた「邪念」の正体です。そしてこれを祓える(あるいは忘れさせられる)力があるかもしれない点に、どうびじゅの尊さの一端があるというのが私の主張です*1
酒井桃音とその周辺
あらかじめ言っておくと、別に「どうびじゅ」がこういうテーマに正面から答えに行ってるというわけではないです。
しかし、いくつかの描写や舞台装置が結果的にこうした問いに答えられるだけの力を生んでおり、それが同作品の魅力になっているという話をします。
さて、主人公の酒井桃音は、願書の提出ミスにより間違えて美術科に入学してしまいます。全くの素人なので当然授業は居残りばかり。
そんな中で桃音は(竹内黄奈子をはじめとする)仲間たちと切磋琢磨し、卒業目指して頑張るぞ!というのがメインストーリーです。
どうびじゅは桃音が「なぜか間違った場所に属している」というところからスタートしています。
基本はコミカルな作風ですが、ときどきこれをシリアスな要素として用いるエピソードがやってきます。1巻の黄奈子仮病回(pp.101~109)は典型的です。
美術科紹介展の前日準備の日、黄奈子は学校を休みます。実際には仮病なのですが、体調を案じた桃音がお見舞いに行き、黄奈子の家に入ります。そこで、黄奈子も好きで美術科に入ったのではなく、実は親のお願いで入ったことが明かされます。
展示に出す作品として黄奈子は卵(「何者にもなれない私(本文 p106)」)の絵を描いていました。
黄奈子は桃音に自分が入学した経緯を話すうちに、自分も卵のままかもしれない、それなら美術科になんていなくても良いと告げ始めます。そこに桃音が黄奈子の鼻をみょんして言い返します。
「黄奈子ちゃんいいましたよね!?桃音が美術科に入ってくれて出会えてよかったって!」
「私なんかが美術科にいていいのかなって不安だったけど、黄奈子ちゃんがそう言ってくれて美術科でよかったって思えたんです!」
黄奈子は美術科にいることにひとまず納得を取り戻し、桃音は展示の準備に戻ります。
最後、黄奈子の「卵の絵」に「ひび割れ」を描き加えて完成とするシーンで話が終わります(「一歩前進です!」1巻 p.109)。ここの落とし方はどうびじゅ1巻の中でも特に美しい流れだと思いますので、ぜひ読んで下さい。
「尊い」の構造
さて、上のシーン例を踏まえて「尊い」の議論に戻りましょう。
一般論として、キャラクターが友情を結んだり切磋琢磨することは実はそれ自体で「尊い」わけではありません(素晴らしいことではあるのですが、それは「尊い」とは種類が違うもののはずです)。
それぞれの人間はまったく個別的で面倒な悩み(≒ 複雑なもの)を抱えており、別にすべての友情がそれらを乗り越えて共有することを前提にしているわけではないからです。
そこで敢えて「尊い」という言葉が使えるとしたら、こういうまったく個別的で面倒な悩みに綺麗に答えを出すシーンにこそ現れるというべきでしょう。あるシーンが読者を「浄化」する力を持つのはそういう場面であるはずです。
主人公の桃音、黄奈子、あとはすいにゃん先輩も分かりやすいですが、彼女らはまぁ普通なら持たないであろう個別的な悩みが出発点にあります。
彼女らが同じ場所で交流を持つことは、必然的にそれらの複雑なものに答えを出す日々が連続していくということです。
どうびじゅはそれをキレイな形で(それでいて等身大に!)描写することに成功しており、だからこそ面倒なオタクの心を浄化する力を持つわけです。
あえて技巧的にいうなら、どんなひねた読者をも包み込むような強い力(しかもそれを強制的な物言いによってでなく魅力によって達成するような優しい説得力)、これこそが「尊さ」の正体ではないでしょうか。心の貧しいオタクは幸いであるというわけです(マタイによる福音書 第五章三節)。
まとめ
- 物語を楽しむとは、人間の複雑さを楽しむことである
- 単純さから複雑さに遷移する物語と、複雑さから単純さに遷移する物語が存在する
- どうびじゅは後者が上手い作品で、後者を切実に必要とするある種の人間に刺さっている。そしてその性質が「尊い」と呼ばれる
- 「尊い」という言葉に「邪念が払われる」というニュアンスがあるのは、当の「邪念」が人間の複雑さと一体であるため
いかがでしたでしょうか。改めて、4月26日発売の『どうして私が美術科に!?』2巻をみなさん予約しましょう。